尸は「朝臣」、はじめは大神姓。一時は秦姓※15、基政の頃から家領の八幡の山井に住み、郷名をとって山井を号す。名乗通字は「景色」、神楽笛、横笛、狛笛を主業とし、江戸期より左右の舞を兼ねる流派も出た。日本雅楽相承系譜(雅家篇)-平出久雄編-
●山井景広(廣)
(元:忠広・景春)
生歿:1627〜1710 (53)
(寛永4年〜延宝7年1月12日)
実父:多忠之
義父:山井景明
養子:山井景剰
1648(正保5年1月5日)
正六位下・宮内大録
1656(明暦2年1月5日)
従五位下・出羽守・景広(改名)
1662(寛文2年3月11日)
従五位上
1663(寛文3年)
出家
やまのいかげのり
●山井景剰
(元:久家)
生歿:1637〜1715 (79)
(寛永14年〜正徳5年5月7日)
実父:多久貴
義父:山井景広
実子:山井景武
1650(慶安3年12月22日)
正六位下・左衛門少尉
1656(明暦2年12月26日)
従五位下・右近衛将監
1662(寛文2年2月11日)
従五位上・景剰(改名)
1672(寛文12年12月5日)※1
正五位下
1709(延宝6年8月21日)
但馬守
1684(貞享元年11月5日)
従四位下
1692(元禄5年12月13日)
従四位上
1701(元禄14年2月27日)
正四位下
●山井景武
(元:景敏・景英)
生歿:1678〜1718 (41)
(延宝6年1月29日〜享保3年7月3日)
実父:山井景剰
義子:山井景貴
実子:男子
養子:山井景貫
1688(貞享5年5月4日)
正六位下・左兵衛少志
1695(元禄8年12月22日)※2
左近衛将監
1697(元禄10年12月26日)
従五位下
1703(元禄16年12月22日)
播磨守
1704(宝永元年12月26日)
従五位上
1711(正徳元年12月23日)
正五位下・景武(改名)
やまのいかげつら
●山井景貴
(元:景行)
生歿:1708〜1795 (88)
(宝永5年12月26日〜寛政7年3月19日)
実父:山井景村
義父:山井景武
実子:山井維獄
山井維寧
山井景義
特記:光格天皇御笛御師範
1718(享保3年12月26日)
正六位下・内匠権助
1719(享保4年12月27日)
景貴(改名)
1725(享保10年12月24日)
従五位下
1726(享保11年12月24日)
左兵衛少尉(兼任)
1732(享保17年12月27日)
従五位上
1740(元文5年12月24日)
正五位下
1750(寛延3年12月24日)
従四位下
1760(宝暦10年12月26日)
従四位上
1766(明和2年11月15日)
正四位下
[宮人秘曲音取賞]※3
1769(明和6年10月10日)
備中守
1787(天明6年5月19日)
候:御師範(光格天皇御笛始)
1792(寛政4年12月16日)
雅楽頭
[蘇合香・万秋楽教授賞]
1795(寛政7年3月19日)
正四位上(推叙)※4
●山井維嶽
生歿:1742〜1755 (14)
(寛保2年7月21日〜宝暦5年1月26日)
実父:山井景貫
実母:林大隅守広房女
1752(宝暦2年12月22日)
正六位下・右兵衛少志
●山井維寧
生歿:1758〜1807 (50)
(宝暦8年3月9日〜文化4年5月13日)
実父:景貫
養子:山井景孝
山井基寿
1768(明和5年11月25日)
正六位下・右兵衛少尉
1776(安永5年3月26日)
従五位下
1787(天明4年6月27日)
従五位上
1792(寛政4年2月18日)
左近衛将曹・伯耆守(兼任)
1802(享和2年3月5日)
従四位下
●山井景孝
生歿:1776〜1799 (24)
(安永5年7月15日〜寛政11年3月7日)
実父:大炊権助大神景規(三男)
義父:山井維寧
1787(天明7年4月27日)
正六位下・駿河介
1795(寛政7年1月20日)
従五位下
やまのいもとひさ
●山井基寿
生歿:1793〜1827 (35)
(寛政5年1月15日〜文政10年11月1日)
実父:左馬権助多忠職(三男)
義父:山井維寧
実子:山井基孚
男子(?〜1822早世)
1803(享和3年2月23日)
正六位下・備中介
1809(文化6年3月4日)
左近衛将曹
1811(文化8年12月21日)
従五位下
1819(文政2年12月18日)
従五位上
1827(文政10年1月22日)
正五位下
やまのいもとのぶ
●山井基孚
生歿:1816〜1845 (30)
(文化13年1月27日〜弘化2年9月17日)
実父:山井基寿
実母:玄蕃権助安倍季良女
養子:山井基貫
山井景繁
1826(文政9年10月28日)
正六位下・備中介
1829(文政12年11月27日)
左近衛将曹
1834(天保5年3月16日)
従五位下
1837(天保8年7月5日)
左近衛将監(転任)
1842(天保13年6月14日)
従五位上
やまのいもとつら
●山井基貫
(改:久康)
生歿:1834〜1903 (70)
(天保5年〜明治36年)
実父:多久顕(次男)
義父:山井基孚
1844(天保15年11月25日)
正六位下・右近衛将曹
1845(弘化2年6月6日)
復:実家
●山井景繁
生歿:1828〜1855 (28)
(文政11年〜安政2年4月8日)
実父:山井景典
義父:山井基孚
養子:山井景正
1838(天保9年12月22日)
正六位下・左近衛将曹
1845(弘化2年9月17日)
養子相続
1846(弘化3年6月16日)
従五位下
1853(嘉永6年5月8日)
左近衛将監(転任)
1854(嘉永7年2月23日)
従五位上
1854(嘉永7年11月10日)
下総守(兼任)
●山井景正
生歿:1836〜1856 (21)※7
(天保7年〜安政3年2月27日)
実父:山井景典
義父:山井基孚
養子:山井基萬
やまのいもとかず
●山井基萬
生歿:1853〜1908 (56)
(嘉永6年〜明治41年6月16日)
実父:多忠惟(次男)
実子:山井基幹もとよし(不入楽道)
(実子:山井基彦・輝彦)
山井基隆もとたか(不入楽道1883〜)
山井基清
山井基永もとなが
山井基理
山井基文
山井基福
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従七位
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勲七等
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伶人長
やまのいもときよ
●山井基清
生歿:1885〜1970 (85)
(明治18年8月29日〜昭和45年12月8日)
実父:山井基萬
実子:山井清雄
担当:左舞・笛・箏・バイオリン・ビオラ
著書:「鳳笙手移口伝書」「撃物総譜」
「舞楽吹要訣」「風俗の音階」
「神楽歌の旋律と和琴との喰いちがい」
「雅楽に於ける呂律の旋法」等
1898(明治31年)
宮内省式部寮雅楽部楽生
1908(明治41年)※5
東京音楽学校器楽科卒
1909(明治42年)
楽師 ※5
1922(大正11年)
ドイツ留学 ※5
1925(大正14年3月16日)
従七位 ※5
1926(大正15年11月29日)
勲七等・瑞宝章 ※5
1934(昭和9年)
楽長
1936(昭和11年)
退官
1937(昭和12年)
相愛女専音楽科教授
1939(昭和14年)
音楽科科長
1941(昭和16年)
退職
やまのいすみお
●山井清雄
生歿:1922〜
(大正11年〜)
実父:山井基清
実子:
1935(昭和10年)
楽生 ※6
1943(昭和18年)
楽師 ※6
1946(昭和21年4月)
免官
※1...或は寛文13年12月5日。「地下家伝」
※2...或は元禄8年12月23日。「地下家伝」
※3...或は笛音取賞。「地下家伝」
※4...就病候危篤依為御師範推叙
※5...「現代音楽大観」より。
※6...「楽家類聚」より。
※7...「雅楽通解 楽史篇」(芝祐泰)の没年より逆算。「日本雅楽相承系譜」(平出久雄)には、生年1853とあるが、間違いか。
※15...大和国高市群波多より起った三輪氏族(大神)の分派の波多を秦と書いたもので、天王寺方の「秦」「太秦」とは出生を異にし、神護景雲2年に大神朝臣姓を賜る。「日本雅楽相承系譜」