太秦姓 岡氏(一流)

名乗通字は「昌」、主業は笛、左舞など。

日本雅楽相承系譜(雅家篇)-平出久雄編-

※岡家嫡流であるが、通説では「岡氏二流」を嫡流とされる。

●岡昌高

 生歿:
 実父:岡昌俊(長男?)
 実子:岡兼政


●岡兼政

 生歿:1550〜1634 (85)
(天正19年〜寛永11年2月25日)
 実父:岡昌高(兵部少輔)
 実子:岡兼重

   ????
    兵部少輔




●岡兼重 ※5

 生歿:1604〜1685 (82)
(慶長9年3月〜貞享2年8月17日)
 実父:岡兼政
 実子:岡兼豊
    岡昌純(元:兼精)

   1650(慶安3年12月22日)
    左近衛将監・正六位下
   1656(明暦2年1月11日)
    壱岐守・従五位下
   1662(寛文2年2月11日)
    従五位上
   1672(寛文12年12月5日)
    正五位下
   1683(天和3年9月21日)
    従四位下



●岡兼豊

 生歿:1610〜1665 (31)
(寛永10年〜寛文5年5月13日)※1
 実父:岡兼重
 養子:岡昌純

   1650(慶安3年12月22日)
    正六位下・左衛門少尉
   1656(明暦2年12月26日)
    従五位下
   1662(寛文2年3月11日)
    従五位上





●岡昌純※2
(元:兼精)
 生歿:1645〜1708 (63)
(正保2年〜寛永5年6月22日)
 実父:兼重(次男)
 義父:岡兼豊
 実子:岡昌名
    岡昌喜

   1665(寛文5年12月23日)
    左京大進・正六位下
   1676(延宝4年12月29日)
    従五位下
   1684(貞享元年11月5日)
    従五位上
   1692(元禄5年12月13日)
    壱岐守・正五位下
   1700(元禄13年12月25日)
    従四位下
   1707(宝永4年12月18日)
    従四位上





●岡昌名
(元:昌信・昌隆)
 生歿:1681〜1759 (79)
(天和元年11月29日〜宝暦9年9月)
 実父:岡昌純
 実母:伊豆守岡昌重女
 実子:岡昌晴
    岡昌房
    岡昌朝

   1688(元禄元年11月29日)
    左京少進・正六位下
   1700(元禄13年11月25日)※3
    従五位下・改:昌隆
   1707(宝永4年12月18日)
    従五位上
   1712(正徳2年12月25日)
    玄蕃助
   1714(正徳4年12月26日)
    正五位下
   1721(享保6年12月24日)
    従四位下
   1722(享保7年12月25日)
    遠江守
   1728(享保13年12月21日)
    従四位上
   1729(享保14年12月24日)
    壱岐守(遷任)
   1735(享保20年12月24日)
    正四位下




●岡昌房

 生歿:1723〜1742 (19)
(享保8年12月20日〜寛保2年12月24日)
 実父:岡昌名(次男)
 実母:

   1734(享保19年12月24日)
    左近衛将曹・正六位下
   1742(寛保2年12月24日)
    従五位下


以下、昌朝流

●岡昌朝
(元:昌虎・康秋)
 生歿:1739〜1775 (37)
(元文4年7月4日〜安永4年)
 実父:壱岐守昌名(末子)
 実子:岡昌但
 実母:出羽守東儀兼当女

   1750(寛延3年12月24日)
    正六位下・右兵衛少尉
   1758(宝暦8年12月28日)
    従五位下・改:康秋
   1758(同日)
    宮内少丞
   1766(明和3年12月19日)
    従五位上・左兵衛少尉
   1772(明和9年3月24日)
    三河介(兼任)・改:昌朝
   1774(安永3年12月19日)
    正五位下・三河守(転任・少尉如元)



おかまさただ
●岡昌但

 生歿:1773〜1848 (76)
(安永2年9月2日〜嘉永元年12月3日)
 実父:岡昌朝
 義父:岡昌言(養子縁組)
 養子:岡昌好
    岡昌式

   1783(天明3年7月13日)
    正六位下・左兵衛大志
   1791(寛政3年5月13日)
    従五位下・左兵衛少尉(転任)
   1799(寛政11年3月10日)
    従五位上
   1807(文化4年3月26日)
    正五位下・佐渡守
   1817(文化14年12月21日)
    従四位下
   1827(文政10年2月8日)
    従四位上
   1827(文政10年9月27日)
    昌言家相続(養子)
   1829(文政12年6月20日)
    壱岐守(遷任)
   1837(天保8年2月18日)
    正四位下




おかまさつね
●岡昌式

 生歿:1800〜1822 (23)
(寛政12年1月14日〜文政5年10月16日)
 義父:岡昌但
 実子:

   1810(文化7年2月28日)
    正六位下・備中介
   1818(文政元年5月9日)
    従五位下


以上、昌朝流

以下、昌晴流

●岡昌晴

 生歿:1721〜1773 (53)
(享保6年閏7月22日〜安永2年9月10日)
 実父:岡昌名(長男)
 実母:出羽守東儀兼当女
 実子:岡昌稠

   1731(享保16年12月25日)
    右衛門少尉・正六位下
   1738(元文3年12月24日)
    従五位下
   1746(延享3年12月24日)
    従五位上
   1754(宝暦4年12月26日)
    正五位下
   1764(明和元年閏12月19日)
    従四位下・伊勢介
   明和7(明和7年12月19日)
    伊勢守(転任)




おかまさしげ
●岡昌稠
(元:昌興・兼久)
 生歿:1755〜1815 (61)
(宝暦5年5月12日〜文化12年8月18日)
 実父:岡昌晴
 実子:岡昌業

   1765(明和2年2月14日)
    正六位下・右兵衛大志
   1773(安永2年12月11日)
    改:兼久
   1773(安永2年12月19日)
    従五位下・右兵衛大尉(転任)
   1776(安永5年12月19日)
    伊予守
   1779(安永8年12月6日)
    昌稠(改名)
   1781(天明元年12月19日)
    従五位下
   1792(天明11年3月10日)
    従四位下
   1802(享和2年10月18日)
    免官
   1805(文化2年4月28日)
    従五位上(推任)
   1813(文化10年7月4日)
    壱岐守
   1813(文化10年10月11日)
    正五位下






●岡昌業
(元:昌俊)
 生歿:1779〜1822 (44)
(安永8年5月1日〜文政5年6月3日)
 実父:岡昌稠
 実子:

   1789(寛政元年2月1日)※4
    正六位下・右兵衛大志
   1796(寛政8年7月11日)
    遠江守(兼任)
   1797(寛政9年12月26日)
    従五位下
   1800(寛政12年11月20日)
    昌業(改名)
   1805(文化2年閏8月28日)
    従五位下
   1813(文化10年11月2日)
    正五位下




●岡昌言
(改:広邑)
 生歿:1820〜1880 (61)
(文政3年〜明治13年8月12日)
 実父:薗広胤(次男)
 義父:岡昌業(養子縁組)
 養子:岡昌但
 特記:薗分家創設(兼厚流第二分家

   履歴別記
   ????
    復:実家(改:広邑)



昌朝流後昌晴流相続

おかまさただ
岡昌但

 生歿:1773〜1848 (76)
(安永2年9月2日〜嘉永元年12月3日)
 実父:岡昌朝
 義父:岡昌言(養子縁組)
 養子:岡昌好

以下既記有



おかまさよし
●岡昌好

 生歿:1820〜1869 (50)
(文政4年10月8日〜明治2年)
 養父:岡昌但(養子縁組)
 実子:岡昌勝

   1831(天保2年2月4日)
    正六位下・右兵衛少尉
   1839(天保10年5月30日)
    従五位下
   1847(弘化4年2月13日)
    従五位上
   1850(嘉永3年5月2日)
    壱讃守
   1855(安政2年1月22日)
    正五位下




おかまさかつ
●岡昌勝
(元:昌和まさかず
 生歿:1852〜1872 (20)
(嘉永5年〜明治5年)
 実父:岡昌好
 養子:東儀文豊
 楽器:笛

   1870(明治3年)
    伶員




おかふみとよ
●岡文豊

 生歿:1861〜1883 (22)
(文久元年〜明治16年)
 実父:東儀文静
 義父:岡昌勝(養子縁組)
 養子:岡彦六郎
 楽器:篳篥/ピッコロ

   1875(明治8年)
    東上・下等伶員
   1876(明治9年)
    権少伶人
   1877(明治10年)
    三等伶員
   1878(明治11年)
    一等伶員?
   1883(明治16年)
    六等伶人




おかひころくろう
●岡彦六郎

 生歿:1874〜1918 (44)
(明治7年〜大正7年)
 実父:東儀俊慰
 義父:岡文豊(養子縁組)
 実子:岡兼太郎(他道)

   1884(明治17年)
    雅楽生
   1898(明治31年)
    雅楽手兼楽手
   1906(明治39年)
    雅楽師兼楽師
   1907(明治40年)
    楽師

(楽家断絶)




参考文献

註釈)
人名のよみは主に、「日本雅楽相承系譜(楽家編)-平出久雄編-」(日本音楽大事典所収)にしたがった。

※1...或は寛永5年生。「地下家伝」
※2...或は昌純。「地下家伝」
※3...或は叙位元禄13年12月25日。「地下家伝」
※4...或は寛政元年2月2日生。「地下家伝」
※5...山井景福より師子笛相伝(但し音取は伝えない)、以来毎年2月15日天王寺で吹き子孫相伝。音取は山井所作。「日本雅楽相承系譜」-平出久雄編-より。