尸は「朝臣」。古くは太、意富、意保、於保などとも書かれたが、のち「多」に統一された。家領の郷名をとり、「大沢」の俗称天文頃(16世紀の中頃)まで用いたこともある。名乗通字は嫡流系は「忠」、庶流「久」、曾庶流系(断絶)は「好」、神楽歌、神楽人神、和琴、右舞、笛を主業とし、特に神楽歌では他姓では参加出来ない多家の独専物。江戸期以降に笙や篳篥を兼ねる流派も出た。-日本雅楽相承系譜(楽家篇)-平出久雄編-
●多忠秀
生歿:1579〜1645
(天正7年〜正保2年9月14日)
実父:多忠季(三男)
実子:多久貴・忠朝
1579(天正7年9月10日)
左衛門少志
1592(天正20年5月28日)
左兵衛少尉
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従六位下
1597(慶長2年12月27日)
左近衛将監
1606(慶長11年1月6日)
従五位下・摂津守
おおのひさたか
●多久貫
(元 忠隆)
生歿:1614〜1683 (70)
(慶長19年〜天和3年8月16日)
実父:多久宗(ニ男)(後当流嗣)
実子:多久家(改:景剰)
多忠胤
多久富
多忠寿
1648(正保5年1月5日)
正六位下・左兵衛大尉
1651(慶安4年1月5日)
従五位下
1651(慶安4年11月4日)
摂津守
1656(明暦2年12月26日)
従五位上
1662(寛文2年2月11日)
正五位下
1670(寛文10年11月21日)
従四位下
1678(延宝6年8月21日)
従四位上
●多久富
生歿:1658〜1714 (57)
(万治元年〜正徳4年8月16日)
実父:多久貫
実子:多久矩(1694〜1711)
多忠盈(1698〜1711)
養子:多久長(養子縁組)
1670(寛文10年11月21日)
正六位下・左衛門少志
1677(延宝5年閏12月26日)
従五位下・左衛門少尉(転任)
1686(貞享3年6月4日)
従五位上
1693(元禄6年12月26日)
正五位下・摂津守
1694(元禄7年4月8日)
左近衛将監
1700(元禄13年12月25日)
従四位下
1707(宝永4年12月18日)
従四位上
●多久長
生歿:1628〜1787 (80)
(宝永5年10月10日〜天明7年4月2日)
義父:多久富(養子縁組)
実父:豊原数秋(四男)「後当流嗣」
実子:多久任
多忠林「本統第一庶流嗣」
1718(享保3年12月26日)
正六位下・左近衛将監
1725(享保10年12月25日)
従五位下
1732(享保17年12月27日)
従五位上
1740(元文5年12月24日)
正五位下
1749(寛延2年12月24日)
摂津介(兼任)
1750(寛延3年12月24日)
従四位下
1753(宝暦3年12月22日)
摂津守(転任)
1760(宝暦10年12月26日)
従四位上
1765(明和2年11月15日)
正四位下[宮人秘曲再興賞]
1787(天明7年2月27日)
正四位上
●多久任
生歿:1749〜1788(40)
(寛延2年6月28日〜天明8年6月25日)
実父:多久長
養子:多忠得(養子縁組)
1759(宝暦9年2月12日)
正六位下・左近衛将曹
1762(宝暦12年12月19日)
但馬介(兼任)
1767(明和4年2月8日)
従五位下
1770(明和7年5月24日)※1
美濃介(遷任・左近衛将曹如元)
1775(安永4年閏12月19日)
従五位上・美濃守(転任・左近衛将曹如元)
1783(天明3年7月13日)
正五位下
おおのただあり
●多忠得
生歿:1777〜1835 (62)
(安永6年10月25日〜天保9年3月7日)
実父:多忠林
養父:多久任(養子縁組)
実子:多忠誠
安倍季成(安倍季徳養子縁組)
多忠逸ただとし(改:徳秋「豊原時全養子縁組」)
1787(天明7年12月19日)
正六位下・左近衛将曹
1795(寛政7年5月4日)
従五位下
1803(享和3年2月3日)
従五位上
1811(文化8年12月21日)
正五位下
1819(文政2年12月18日)
左近衛将監
1821(文政4年11月19日)
従四位下・讃岐守
1831(天保2年6月30日)
従四位上
おおのただなる
●多忠誠
生歿:1811〜1874 (64)
(文化8年6月15日〜明治7年2月6日)
実父:多忠得
養子:多忠古(養子縁組)
楽器:笛
1821(文政4年12月19日)
正六位下・右近衛将曹
1829(文政12年11月27日)
従五位下
1835(天保6年11月25日)
止官
1838(天保9年12月22日)
右近衛将曹(遷任)
1839(天保10年1月24日)
従五位上
1841(天保12年10月16日)
右近衛将監(転任)
1847(弘化4年2月13日)
正五位下
1857(安政4年1月25日)
従四位下・備前守
1870(明治3年)
伶員
1871(明治4年)
退官
おおのただふる
●多忠古
生歿:1845〜1901 (56)
(天保13年〜明治34年10月15日)
義父:多忠誠(養子縁組)
実父:多忠壽(次男)
実子:男(1877〜?早世)
男(1878〜?早世)
多忠朝
多忠良(忠行養子縁組)
1853(嘉永6年2月4日)
正六位下・右近衛将曹
1854(嘉永7年6月)
忠誠家相続
1870(明治3年)
伶員
1875(明治8年)
権少伶人
1881(明治14年)
雅楽手
1888(明治21年)
伶人兼楽手
1901(明治34年)
雅楽師兼楽師
おおのただとも
●多忠朝
生歿:1883〜1956 (74)
(明治16年4月5日〜昭和31年10月215日)
実父:多忠古(三男)
実子:多忠賢
多忠信
多静子(明治45年1月12日〜平成25年)
楽器:笛/箏/ハ゛イオリン・ヒ゛オラ
右舞
特記:「承久楽」「浦安の舞(舞)」「懐古」等作
1898(明治31年)
雅楽生
1908(明治41年)
楽手
1909(明治42年)
楽師
1932(昭和7年)
神社音楽協会設立
1936(昭和11年)
楽長
1945(昭和20年)
退官
おおのただのぶ
●多忠信
生歿:1916〜1954
(大正5〜昭和29)
実父:多忠朝(次男)
実子:
楽器:笛/チェロ
1935(昭和10年)
楽師
注)
人名のよみは、平出久雄編「日本相承系譜」『日本音楽大事典』(平凡社)にしたがった。
官歴・経歴は、近世以前は「地下家伝」『群書類従』を、近代以降は、塚原康子『「明治国家と雅楽』(有志舎)の付表を参考とした。また他の文献に、追加や補足等がある場合はそれらを参考とし、その都度注釈を添えた。
※1...「地下家伝」には、明和7年8月24日の異説記載あり