尸は「朝臣」。古くは太、意富、意保、於保などとも書かれたが、のち「多」に統一された。家領の郷名をとり、「大沢」の俗称天文頃(16世紀の中頃)まで用いたこともある。名乗通字は嫡流系は「忠」、庶流「久」、曾庶流系(断絶)は「好」、神楽歌、神楽人神、和琴、右舞、笛を主業とし、特に神楽歌では他姓では参加出来ない多家の独専物。江戸期以降に笙や篳篥を兼ねる流派も出た。-日本雅楽相承系譜(楽家篇)-平出久雄編-
●多忠辰
生歿:1570〜1630 ※1(61)
(元亀元or永禄13年〜寛永7年6月2日)
実父:多忠雄(次男)
実子:多忠富
多忠貞(相続:本家筋第六庶流)
????
豊前守
●多忠景
生歿:?〜1695
(〜元禄8年10月5日)
実父:多忠富
実子:多忠勝(早世)
多忠隆(早世)
多忠春
多忠允(改:季逸(安倍氏第一庶流 季高嗣子))
多忠昆
1648(正保5年1月5日)
正六位下
1648(正保5年1月11日)
左衛門少志
1656(明暦2年正月5日)
従五位下・左近衛将監
1662(寛文2年2月日)
従五位上
1662(寛文5年12月)
日向守
1670(寛文10年11月21日)
正五位下
1679(延宝7年9月7日)
従四位下
1686(貞享3年11月7日)
従四位上
1693(元禄6年12月25日)
正四位下
●多忠昆
(元:忠阿)
生歿:1674〜1759 (86)
(延宝2年〜宝暦9年9月27日)
実父:多忠景
実子:多忠幸
1685(貞享2年2月2日)
正六位下・主計少允
1692(元禄5年12月25日)
従五位下
1697(元禄10年12月26日)
左近衛将曹
1700(元禄13年12月23日)
従五位上
1702(元禄15年12月23日)
左近衛将曹*2
1707(宝永4年12月18日)
正五位下
1711(正徳元年12月)
日向守
1714(正徳4年12月16日)
従四位下
1721(享保6年12月24日)
従四位上
1728(享保13年12月21日)
正四位下
●多忠幸
生歿:1712〜1786 (75)
(延宝2年1月11日〜天明6年6月29日)
実父:多忠景
養子:多忠堅
1722(享保7年12月26日)
正六位下・左近衛将監
1729(享保14年12月24日)
従五位下
1736(元文元年12月29日)
従五位上
1744(延享元年12月22日)
正五位下
1754(宝暦4年12月26日)
従四位下・対馬守
1764(明和元年閏12月19日)
従四位上・日向守(遷任)
1768(明和5年12月14日)
大学権助
1774(安永3年12月19日)
正四位下
おおのただかた
●多忠堅
生歿:1768〜1813 (60)
(明和5年12月22日〜文政10年7月22日)
義父:多忠幸
養子:多忠愛
1778(安永7年2月3日)
正六位下・右近衛将曹
1786(天明6年6月3日)
従五位下・近江守
1794(寛政6年6月20日)
従五位上
1802(享和2年3月5日)
正五位上(下)
1812(文化9年12月19日)
従四位下
1822(文政5年閏1月18日)
従四位上
おおのただとき
●多忠愛
生歿:1811〜1880 (69)
(文化8年1月25日〜明治13年1月7日)
義父:多忠堅
実子:多忠誉
男
多忠廉
多忠孝
多忠久
1821(文政4年4月8日)
正六位下・左近衛将曹
1829(文政12年6月20日)
従五位下
1837(天保8年7月5日)
従五位上
1845(弘化2年1月18日)
正五位下
1855(安政2年1月22日)
従四位下・肥後守
1870(明治3年11月7日)
少伶人
1870(明治3年11月28日)
中伶人
1875(明治8年4月4日)
権中伶人
1875(明治8年)
退官
おおのただおき
●多忠誉
(元:忠氏)
生没:1832〜1851
(天保3年〜嘉永4年)
実父:多忠愛
1841(天保12年7月23日)
正六位下・右近衛将曹
1850(嘉永3年1月17日)
従五位下
おおのただきよ
●多忠廉
生歿:1843〜1916 (72)
(天保14年〜大正5年3月29日)
実父:多忠愛
実子:多忠龍
多忠保
多忠重ただしげ(芝家第二庶流を相続)
多忠品ただのり
安倍季秀すえひで(安倍家本流を相続)
位勲:従七位/勲七等
1852(嘉永5年1月17日)
正六位下・右近衛将曹
1870(明治3年3月15日)※3
東上
1870(明治3年4月4日)
権中伶人
1878(明治11年8月29日)
四等伶人
1884(明治17年10月3日)
雅楽師
1885(明治18年)
音楽取調掛
1888(明治21年5月19日)
伶人長兼楽師
1907(明治40年10月31日)
楽師
1914(大正3年)
退官
おおのただより
●多忠保
生歿:1873〜1941 (69)
(明治6年〜昭和16年1月10日)
実父:多忠廉(次男)
実子:多忠長
多忠清(楽道不入)
位勲:従六位/勲六等
楽器:笙/バイオリン/小太鼓
1884(明治17年)
雅楽生
1895(明治28年)
伶人兼楽手
1898(明治31年)
雅楽手兼楽手
1904(明治37年)
雅楽師兼楽師
1907(明治40年)
楽師
おおのただおさ
●多忠長
生歿:1911〜1939 (28)
(明治6年〜昭和14年5月11日)※5
実父:多忠保(長男)
実子:
位勲:勲八等
楽器:篳篥
1928(昭和3年)
楽師
おおのただたつ
●多忠龍
生歿:1864〜1944 (81)
(元治2年3月15日〜昭和19年12月22日)
実父:多忠廉
実子:多忠広(楽道不入)
多重守(楽道不入)
多忠紀
多忠盈(楽道不入)
多忠英(楽道不入)
忠胤(楽道不入)
楽器:笙/クラリネット/バイオリン
位勲:従六位/勲六等
著作:「雅楽」
1872(明治5年)
東上・伶員
1884(明治17年)
雅楽生
1888(明治21年)
楽手兼伶人
1898-1916(明治31年-大正5年)
東京音楽学校講師(クラリネット)
1902(明治35年)
雅楽師兼楽師
1907(明治40年)
楽師
1921(大正10年)
楽長
1924(大正13年)
退官
1937(昭和12年)
帝国芸術院会員
おおのただお
●多忠夫
生歿:1926〜?
(昭和元年9月4日〜?)
実父:多忠品(長男)
実子:
楽器:笛/ホルン
????
楽生
1944(昭和19年)
退部
おおのただとし
●多忠紀
生歿:1998〜1945 (48)
(明治31年〜昭和20年12月25日)
実父:多忠龍(三男)
実子:多忠康
多忠律
多忠麿
多忠武
楽器:笙/バイオリン/チェロ
1914(大正3年)
楽生
1921(大正10年)
楽師
1945(昭和20年)
楽長
おおのただもと
●多忠完
生歿:1929〜1985
(昭和4年〜昭和60年)
実父:多忠廣
実子:
楽器:笙/クラリネット
1942(昭和17年)
楽生
1944(昭和19年)
退部
おおのただまろ
●多忠麿
生歿:1933〜1994 (61)
(昭和8年12月5日〜平成6年12月19日)
実父:多忠紀(長男)
実子:
楽器:笙/琵琶/トランペット
担当:左舞
著作:「雅楽のデザイン 王朝装束の美意識(小学館)」
1952(昭和27年)
楽師
1980(昭和55年)
楽長補
1991(平成3年)
芸術院会員
1993(平成5年)
楽長
おおのただあき
●多忠輝
生歿:1959〜
(昭和34年〜)
実父:多忠完
実子:多忠純
楽器:笙/琵琶/バイオリン
担当:左舞
特記:東京楽所代表(平成6年〜)
1972(昭和47年)
楽部予科楽生
1974(昭和49年)
本科楽生
1981(昭和56年)
楽師
注)
人名のよみは、平出久雄編「日本相承系譜」『日本音楽大事典』(平凡社)にしたがった。
官歴・経歴は、近世以前は「地下家伝」『群書類従』を、近代以降は、塚原康子『「明治国家と雅楽』(有志舎)の付表を参考とした。また他の文献に、追加や補足等がある場合はそれらを参考とし、その都度注釈を添えた。
※1...『雅楽通解-楽史編』記載の年齢より逆算。
※2...或いは左近衛将監(「地下家伝」より)。
※3...24日出発(「明治国家と雅楽」より)。
※4...戦死
※5...中国南昌付近で戦死(「明治国家と雅楽」より)。