太秦姓 薗氏(第二庶流)
●薗廣永(広永)
生歿:1634〜1703 (70)
(寛永11年〜元禄16年6月8日)
実父:薗廣寿(次男)
実子:薗廣伴
1648(正保5年正月5日)
正六位下
1648(正保5年正月11日)
右衛門少志
1656(明暦2年正月5日)
従五位下
1656(明暦2年正月11日)
左衛門大尉
1662(寛文2年2月11日)
従五位上
1672(寛文12年2月11日)
正五位下
1678(延宝6年8月25日)
淡路守
1684(貞享元年11月5日)
従四位下
1692(元禄5年12月13日)
従四位上
1701(元禄14年2月27日)
正四位下
●薗廣伴(広伴)
(元兼音・改廣慶)
生歿:1678〜1739 (62)
(延宝6年11月5日〜元文4年12月16日)
実父:薗廣永
実子:薗仲廣
薗廣顕(家督相続)
1690(元禄3年3月21日)
正六位下
1690(元禄3年3月21日)
玄蕃允
1696(元禄9年12月28日)
右兵衛大尉
1698(元禄11年12月27日)
従五位下
1703(元禄16年12月22日)
左兵衛大尉
1625(寛永2年12月18日)
従五位上
1712(正徳2年12月25日)
正五位下
1719(享保4年12月26日)
従四位下
1719(享保4年12月26日)
淡路守
1728(享保13年2月1日)
従四位上
1735(享保20年12月24日)
正四位下
●薗仲廣(仲広)
生歿:1722〜?
(享保7年2月14日〜?)
実父:薗廣伴
実子:
1732(享保17年12月27日)
正六位下
1732(享保17年12月27日)
左近衛将監
1740(元文5年12月24日)
従五位下
1746(延享3年3月19日)
退去
1746(延享4年4月12日)
解管
●薗廣顕(広顕)
生歿:1736〜1788(53)
(元文元年10月22日〜天明8年3月20日)
実父:薗廣綱
養子:薗廣興
1746(延享3年12月24日)
正六位下
1746(延享3年12月24日)
左兵衛少志
1754(宝暦4年12月26日)
従五位下
1762(宝暦12年12月19日)
従五位上
1770(明和7年12月19日)
正五位下
1770(明和7年12月19日)
丹後守
1780(安永9年5月12日)
従四位下
●薗廣興(広興)
(改:直如)
生歿:1768〜
(明和5年8月26日〜?)
実父:東儀頼益(次男)
義父:薗廣顕
実子:
1778(安永7年2月3日)
正六位下
1778(安永7年2月3日)
左衛門大志
1786(天明6年6月3日)
従五位下
1786(天明6年6月3日)
復:実家
????
改名:直如
????
出家
●薗廣綱(広綱)
生歿:1779〜1818 (40)
(安永8年12月1日〜文政元年5月14日)
実父:薗廣顕
実子:薗廣包
1789(寛政元年2月2日)
正六位下
1789(寛政元年2月2日)
右兵衛大志
1797(寛政9年12月26日)
従五位下
1800(寛政12年3月14日)
伊勢守
1805(文化2年閏8月28日)
従五位下
1813(文化10年11月2日)
正五位下
そのひろかね
●薗廣包(広包)
生歿:1811〜1839 (29)
(文化8年11月20日〜天保10年7月3日)
実父:薗廣綱
養子:薗廣靜(元:多忠村)
1821(文政4年11月29日)
正六位下
1821(文政4年11月29日)
左兵衛大志
1829(文政12年6月20日)
従五位下
1837(天保8年7月5日)
従五位上
そのひろきよ
●薗廣靜(広靜)
(元多忠村)
生歿:1836〜?
(天保7年〜?)
実父:多久顕
義父:薗廣包
養子:薗廣利
1846(弘化3年10月5日)
正六位下
1846(弘化3年11月7日)
左兵衛権大尉
11854(嘉永7年3月7日)
従五位下
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辞官
そのひろとし
●薗廣利(広利)
生歿:1855〜?
(安政2年〜?)
実父:薗廣邑(六男)*1
義父:薗廣靜
実子:廣保・仁一
楽器:笙/ボンバルドン・バス
1870(明治3年)
伶員
1874(明治7年)
中等伶員
1875(明治8年)
権少伶人
1877(明治10年)
四等伶員
1884(明治17年)
雅楽手
1888(明治21年)
雅手兼伶人
1892(明治25年)
退官
そのひろやす
●薗廣保(広保)
生歿:1879〜1949 (70)
(明治12年〜昭和28年3月)
実父:薗廣利(長男)
実子:
楽器:笙?・ホルン・バイオリン
1893(明治26年)
伶員
1897(明治30年)
雅楽生
1901(明治34年)
退部(22才)
(系譜断絶)
注)
人名のよみは、平出久雄編「日本相承系譜」『日本音楽大事典』(平凡社)にしたがった。
官歴・経歴は、近世以前は「地下家伝」『群書類従』を、近代以降は、塚原康子『「明治国家と雅楽』(有志舎)の付表を参考とした。また他の文献に、追加や補足等がある場合はそれらを参考とし、その都度注釈を添えた。
*1・・・芝祐泰「雅楽通解-楽史遍」では六男と表記されているが、寺内直子「明治国家と雅楽」(有志舎)では五男と表記されている。