雅楽音階(音律)の和風化


 渡来した唐音階の和風化について記します。この項は私が而立の頃、主に横笛と古代歌謡を教授いただき、今も私淑している芝祐靖先生の考察を恐縮ながら用いさせていただいて、記したいと思います。

さて、これらの音階が日本人に合えば問題はなかったのですが、日本人の旋律感覚に合わず、輸入直後(平安時代)より音楽の日本化(楽制改革)がおこり、さまざまな研究がなされました。しかししょせん文明大国、唐の音楽理論の影響をぬぐいさることはできなかったようです。

ほとんどの古楽書は、渡来した六つの調子に、改めて主音に「宮」第二音に「商」属音は「徴」といった、ちょうど現代の移動ドのような音律型を配しようとしたため、音律理論はますます複雑化し理解できにくいものとなりました。

「(「雅楽」木戸敏郎 音楽之友社)<角調・曹娘褌脱>の釈譜について-芝祐靖-」より


 ここで芝祐靖先生は、梁塵秘抄口伝集巻12「後白河法皇撰」(宇多天皇が遣唐使廃止とともに音楽の日本化を目指して記された音声楽録『絲管抄』-後世消失-を書き写したとされる)の記載を引用して説明されています。

大同嘉祥年間(809年頃)唐より楽師が渡来して日本の音楽唱歌の六調子を定めたが、「律」「呂」など細かい部分がはっきりしなかったとして次のような混乱のさまを記してあります。

芝祐靖 同文献記載より


 私の手元にあります「梁塵秘抄(岩波文庫) 梁塵秘抄口伝集巻12」を紐解いてみると、芝先生が記されているようにさまざまな音階図が表記されており、確かに混乱していた様子が伺えます。以下に混乱が伺える音階図の中から一つを記します。

此図盤渉調呂七声之法也蓋五音之中角羽之ニ声不相○故無本音也

「梁塵秘抄 -梁塵秘抄口伝集巻12-(岩波文庫)」


Ex300_2
※上図での「角」は「呂角」のことです。

 この図では、盤渉音を「宮」として、唐の七声を強引に配していることが解ると思います。



 ところで、『絲管抄』(梁塵秘抄口伝集巻12)には、初めに以下の音階が図示してあります。同じく手元の「梁塵秘抄口伝集巻12」から記します。
   
音聲是習可渡○也此図以律渡之時律歌

「梁塵秘抄 -梁塵秘抄口伝集巻12-(岩波文庫)」


Ex301_3

 盤渉調を例に記しますが、この音階は「古代に渡来した音階」の項でも記した盤渉調の音階で、古代中国の雅楽律の太簇均羽調と同じ音階です。
■盤渉調⇔太簇均羽調
Banshiki
先の図と上図を比較すると、音階を構成する音程に「嬰商」「嬰羽」「律角」を充てて、「呂角」「変徴」「変宮」を除いており、多少音階の変化が伺えますが、和風化にはいたっていません。



 ところが「梁塵秘抄口伝集巻12」には初の音階図の前に、唄いものの音階について次のような記載があります。


五音啚鏡 律音〒(平調)徴盤渉調自余可淮知之

墨譜の図

宮音スクナリ、音ノ上下ニヨリテ字ノ上下ニ商音ソルベシ。上ヘソラシテ付、下ヘソラシテ付。両様移所ノ音に隨、音ノ付所、如宮角音立様ニスク也。ユガムベカラズ。・・・

「梁塵秘抄 -梁塵秘抄口伝集巻12-(岩波文庫)」


 この記載によると、商音は上行の場合は嬰商音を用い、下行の場合は変商(宮への解決)に唄うということになります。また墨譜の図には、羽音の場合も上下にソル記載があります。

これを基に盤渉調の音階を図示すると、以下のようになります。
Ex302

この音律(音階)による盤渉調の旋律は日本人の音程感によくマッチしたため、器楽演奏においても使用されるようになり、ついには中国律の盤渉調にとって変わり主流となりました。

おおむねこのような経過をたどった音律が、現代に伝わっています。現代の雅楽は、笙の和音と箏の調絃にのみ雅楽律が残され、唱歌や旋律楽器の演奏には声律(日本化)が使われています。

芝祐靖 同文献記載より




 取りまとめとして、渡来した音階と和風化された音階を図示し、対比します。


Ex303



七声のうちニ声が異なっているだけです。しかしこれが実際の演奏で旋律型式の差と相まって以外に大きな違いを表します。

芝祐靖 同文献記載より



 現行の雅楽(唐楽)における旋律担当楽器や唱歌のメロディーを構成している音階(音律)とその変化を見てきました。けれども「雅楽音階と箏の調絃」で記しましたように絃楽器は旋律楽器とは対照的に、現在でも渡来した古代の音階・音律のまま演奏されています。
 上記は盤渉調での考察を記しましたが、平調においても同様の変化が見られます。双調を除く他の調子にも似たような変化はありますが、特にこの二調子は顕著に篳篥・横笛の「和風化した音階」と、笙・箏・琵琶の「渡来時の音階」という、違った音階で合奏されていることになります。こういった様式での演奏は、私達が普通耳にしている西洋音楽では聴かれません。
 感覚的なことですが唐楽演奏を聴くと、洋楽では感じられない独特の「厚みと彩り」のようなものを感じます。この「厚みと彩り」は、唐楽を雅楽足らしめている要因の一つなのかも知れません。
 この演奏様式の確立は自然的に行われたものなのか、また古代人の感性による意図的な作業であったのかはわかりませんが、古代の音楽を現代の我々にも通じる魅力的な音楽として味わうことが出来ることは、幸いなことだと思います。



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