誄歌(るいか)/ 御葬歌(みはふりのうた)

るい‐か【誄歌】
1 死者の生前の徳をたたえ、その死を悼む歌。 2 雅楽で、日本固有の歌の一。大葬などに用いる。

「大辞泉」 小学館)




●あらまし

誄歌(るいか)とは、広義においては1を指し、狭義では2を指します。 誄歌は雅楽の中では久米歌と同じく、神話の時代という古い起源をもった、国風歌舞というジャンルの歌曲です。国風歌舞の楽曲は、いくつかの舞楽曲で構成された「組曲」になっているものがほとんどですが、誄歌だけは異なり、歌曲のみで舞はありません。また誄歌は、和歌に旋律をつけて歌曲としています。

誄歌の伝承は、長い歴史の中で絶えていました。現行の誄歌は、明治期の宮内庁楽部の「芝葛鎮(しばふじつね)」によって、明治天皇の葬儀の際に作曲して、復興したものです。

 倭健命が東方十二道の鎮定に幸されての帰途、尾張の能煩野にて崩御(113)された時倭におられた后御子等がその地に下られて御陵を作り、悲しみ歌われた四つの歌を「序、破、急」の三段に調整したものである。
 古事記中巻(712)に「是の四歌は皆其の御葬に歌いたりき。故今に其の歌は天皇の大御葬に歌う也。」とある由縁による天皇葬儀用の悲歌である。
 現在宮内庁楽部に伝える誄歌は、明治天皇(1868〜1912)の大葬儀に大葬使より「誄歌作譜嘱託」を受けた楽長芝葛鎮以下10名の楽師が古譜を尋ねて撰譜したもので、必ずしもわが上代の旋律を伝えたとは云えぬが、歌声に和琴のみを掻き添えた最も上代歌謡の形態を遺した歌曲である。
 昭和2年2月7日(1927)の大正天皇、同26年6月22日(1951)の貞明皇后両大葬儀の祭式もこの誄歌唱和にて行なわせられた。
(五線譜による雅楽総譜 巻一 歌曲篇 芝祐泰-カワイ楽譜-)



●古事記より

上記載通り誄歌は、倭建命(やまとたけるのみこと)が東方平定後に伊勢の国の鈴鹿群能煩野(のぼの)で病死したことを聞いて、妻がかの地で御陵を作り埋葬する際に彼の死を悼んで詠んだ四首の歌に、旋律をつけた歌謡です。また古事記には今にいたるまで、この歌は天皇の葬儀に歌うこととなったとも記されています。

於是坐倭后等及御子等 諸下到而 作御陵即匍匐廻其地之那豆岐田 【自那下三字以音】而哭爲歌曰 那豆岐能多能 伊那賀良邇 伊那賀良爾 波比母登富呂布 登許呂豆良 於是化八尋白智鳥 翔天而 向濱飛行【智字以音】 爾其后及御子等 於其小竹之苅杙雖足破 忘其痛以哭追 此時歌曰 阿佐士怒波良 許斯那豆牟 蘇良波由賀受 阿斯用由久那 又入其海鹽而 那豆美【此三字以音】行時 歌曰 宇美賀由氣婆 許斯那豆牟 意富迦波良能 宇惠具佐 宇美賀波 伊佐用布 又飛居其磯之時 歌曰 波麻都知登理 波麻用波由迦受 伊蘇豆多布 是四歌者 皆歌其御葬也 故至今其歌者歌天皇之大御葬也 故自其國飛翔行 留河内國之志幾 故於其地作御陵鎭坐也 即號其御陵謂白鳥御陵也 然亦自其地更翔天以飛行 凡此倭建命平國廻行之時 久米直之祖 名七拳脛 恆爲膳夫以從仕奉也

古事記 中ノ巻




●現行の奏楽作法

前奏では誄歌音取として、盤渉調音取が奏されます。誄歌は四つの歌曲で構成されており、第一と第二の歌曲は連続で斉唱され、その間に御饌・幣物を霊前に捧げる献饌が行われます。唱和は一度止み、そして第三と第四の歌曲が連続で斉唱され、その間に撤饌いたします。笏拍子を打つ句頭が、冒頭に独唱するのは第一、第三のみで、第二、第四は初めから全員で斉唱いたします。誄歌の伴奏は和琴のみ用いられ、その他の楽器は用いられません。

▼誄歌で用いる和琴の調絃

絃名
音律
(英名)
盤渉
(B3)
下無
(F#3)
盤渉
(B2)
鳧鐘
(G#3)
平調
(E3)
上無
(C#3)


▼誄歌の歌詞

誄歌音取(盤渉調音取)

誄歌第一
ナヅキノタノ イナガラニ イナガラニ ハヒモトホロフ トコロヅラ
那豆岐能多能 伊那賀良邇 伊那賀良爾 波比母登富呂布 登許呂豆良
なづきの 田の稲幹(いながら)に 稲幹にはひ廻(もとほ)ろふ 野老曼(ところづら)

誄歌第二
アサジヌハラ コシヅナム ソラハユカズ アシヨユクナ
阿佐士怒波良 許斯那豆牟 蘇良波由賀受 阿斯用由久那
浅小竹(あさじぬ)はら 腰なづむ空は行かず 足よ行くな

誄歌第三
ウミガユケバ コシナヅム オホカハラノ ウミグサ ウミガハ イザヨフ
宇美賀由氣婆 許斯那豆牟 意富迦波良能 宇惠具佐 宇美賀波 伊佐用布
海がゆけば 腰なづむ おほかはらの植草 海がはいざよふ

誄歌第四
ハマツチドリ ハマヨハユカズ イソヅタフ
波麻都知登理 波麻用波由迦受 伊蘇豆多布
浜っ千鳥 浜よわ行かず 磯づたふ
浜っ千鳥 浜よわ行かず 磯づたふ