春過(はるすぎ)


春過
春過夏闌 袁司徒之家雪応路逹 旦南暮北 鄭大尉之渓風被人知
春過ぎ夏闌ぬ 袁司徒が家の雪路達しぬらし 朝には南 暮には北 鄭大尉が渓の風人に知られたり

「和漢朗詠集 藤原公任 撰」 丞相680 菅原文時





上記は、朗詠の中の一曲、「春過」(はるすぎ)の詩です。

菅原文時(すがわらのふみとき)が源雅信(みなもとのまさのぶ)のために書いた辞表の一節で、雅信自身が定めたとされる「源家根本朗詠七首」に含まれる詩だそうです。


菅原文時
[899〜981]平安中期の漢詩人・学者。道真(みちざね)の孫。
文章博士(もんじょうはかせ)。
天暦8年(954)村上天皇に政治論「意見封事三箇条」を提出。菅三品(かんさんぽん)と称された。

大辞泉(小学館) より



源雅信(920〜993年8月24日)
平安時代中期の貴族。宇多天皇の皇子である敦実親王の三男で宇多源氏の祖。従一位・左大臣。贈正一位。一条左大臣又は鷹司左大臣と号した。出家後の法名は覚実。

父の敦実親王が琵琶の名手として有名で、その影響か雅信自身も「音楽堪能、一代之名匠也」といわるほどの達人で「源家根本朗詠七首」などを定め、後世に朗詠の祖とまで言われるようになった。他にも有職故実や和歌、蹴鞠にも通じていたといわれている。

ウィキペディアより引用





古代中国(後漢の時代)の袁安邵公の故事が、この詩の出自の一つとされています。

「原文」
時大雪積地丈餘、洛陽令身出案行、見人家皆除雪出、有乞食者。
至袁安門、無有行路。謂安己死、令人除雪入戸、見安僵臥。問何以不出。
安曰、大雪人皆餓、不宜干人。令以為賢、挙為孝廉也

『後漢書』 引 汝南先賢傳 范曄 編

「語訳」
汝南先賢伝に曰く「時に大雪が地に積もり丈余りとなったため,洛陽令が身出して案行した。人家を見ると皆除雪に出ており、乞食者が有った。袁安の門に至ると、路を行くものが有ること無かった。袁安は己に死んだのだろうと謂うと、人に命令して雪を除かせて入戸した、すると袁安が僵臥しているのに見えた。何をか以って出ないのかと問いかけた。袁安曰く、『大雪には人は皆餓えるもの、不宜干人(干人に宜しくないものです)』以って賢を為すと令し、挙げて孝廉と為した」也。

偽黒武堂の三国志探訪 ほぼ訳!後漢紀:袁宏後漢紀) より引用


孝廉
中国、漢代の官吏登用徳目の一。郡国の長官に孝行で清廉な人物を推薦させ官吏に採用した。また、その徴士(ちようし)の名称。
   
三省堂 大辞林





朗詠 春過

一の句 ♪「春過ぎ夏闌ぬ 袁司徒が家の雪路達しぬらし」

二の句 ♪「朝には南 暮には北」

三の句 ♪「鄭大尉が渓の風人に知られたり」