せんしゅうらく【千秋楽】
(1)相撲・芝居などの興行の最後の日。千歳楽。
(2)謡曲「高砂」の終わりの部分。婚礼のときなどの祝言として謡われる。
(3)雅楽の曲の名の一。盤渉(ばんしき)調の曲で舞がない。千歳楽。
三省堂提供「大辞林 第二版」より一部抜粋
相撲や歌舞伎、演劇公演等の最終日を「千秋楽」といいますが、この言葉は雅楽の楽曲名が由来です。
古代より「大嘗祭」という、天皇即位の際に行われる一世一代の儀式があります。天皇の即位後最初の新嘗祭で、一代一度の祭事ということもあり、新しい天皇にとっては大切な儀式です。
この儀式には都より東を「悠紀地方」(ゆきちほう)、西を「主基地方」(すきちほう)として、亀甲の占いによってそれぞれの場所をきめて、新しい舞楽を作って捧げるイベントがあります。
もともと「千秋楽」は、この大嘗祭のために作られた楽曲といわれています。
この曲は、71代後三条天皇(76代近衛天皇という説もあるみたいです)の即位の時に、源頼能によって作られたと伝えられています。当初この曲は、大嘗祭の時だけに演奏され、今上の天皇の間には、再び演奏されることは無かったようですが、後に例外で演奏されるようになっていきました。そして、次第に舞楽会や「相撲節会」(すまいのせちえ)などのイベントの最後にも、この曲の演奏がされていったことから、相撲や歌舞伎の最終日を「千秋楽」と呼ぶようになったと言われています。
さてこの千秋楽ですが、オリジナルは盤渉調のめぐり(旋律の型)をふんだんに含んだ、雅楽らしい美しい楽曲です。この曲は平安時代より下ることおよそ800年、明治21年の撰定の際に黄鐘調へも渡(編曲)され、現在千秋楽は二つの調子の曲が伝えられています。
明治9年の撰定時には黄鐘調の曲数が少なく、その数を増やすために盤渉調の楽曲が多く編曲されたようです。急遽の編曲作業だったためか、黄鐘調千秋楽は黄鐘調の特徴(めぐり)が少なく、ただ旋律を盤渉調より一度下げただけの「移調曲」という印象は否めません。
千秋楽には舞はなく、管絃演奏のみ伝えられています。