久米歌 / 久米舞

舞人 装束
4人 巻纓巻向冠
赤袍・太刀・飾り靴



くめ‐うた【久米歌/来目歌】 古代歌謡のうち、記紀の神武天皇の条にある久米部(くめべ)が歌ったとされる6首の歌。また、特に久米舞に用いる歌をいう。
(「大辞泉」 小学館)


■あらまし

久米歌/久米舞は、雅楽の中では国風歌舞というジャンルに属する歌舞です。和琴と龍笛、篳篥を伴奏に歌われる歌に合わせて、巻纓巻向冠に赤袍を纏い、太刀を佩いた4人の舞人によって舞われる、勇壮な武の舞の演目です。かつては宮中の祝儀で行われていた歌舞でした。

古事記・日本書紀には、神武天皇が大和を平定した際に、勝利の宴で歌を詠み、兵士(※2)が唱和して歌ったとあります。この歌が久米歌の歌詞となっています。加えて記紀には討伐隊の兵士をはげましたり、なぐさめたりした歌、また討伐で活躍した道臣命(※4)が多くの余党を討ったときに歌った歌が合わせて8首記されています。これら全ての歌を久米歌といい、久米部(※2)によって伝承されました。以下に記紀に収められている8首の久米歌(久目歌)を記します。

@
宇陀の 高城に 鴫罠張る
我が待つや 鴫は障らず
いすくはし 鯨障り
前妻が 肴乞はさば
立ちそばの 実の
無けくを 扱きしひえね
後妻が 肴乞はさば
柃 実の多けくを 許多ひゑね
(記9 紀7)

A
神風の 伊勢の海の 大石にや
い這ひ廻る 細螺の 細螺の
吾子よ 吾子よ
細螺の い這ひ廻り 撃ちてし止まむ
撃ちてし止まむ
(記13 紀8)

B
忍坂の 大室屋に
人多に 入り居りとも
人多に 来入り居りとも
みつみつし 来目の子らが
頭槌い 石槌いもち 撃ちてし止まむ
(記10 紀9)

C
今はよ 今はよ ああしやを
今だにも 吾子よ
(紀10)

D
蝦夷を 一人百な人
人は言えども 抵抗はぜず
(記12 紀11)

E
楯並めて 伊那佐の山の
木の間ゆも い行き目守らひ
戦へば 我はや飢ぬ
島つ鳥 鵜飼が伴 今助けに来ね
(記14 紀12)

F
みつみつし 久目の子らが
垣本に 栗生には 臭韮一本
其のが本 其根芽つなぎて 撃ちてし止まむ
(記11 紀13)

G
みつみつし 久目の子らが
垣本に 飢ゑし 椒 口びひく
我は忘れず 撃ちて止まむ
(記12 紀14)
(「雅楽 映像解説」-遠藤徹-)参照。


現行の久米歌の歌詞は上記8首の内の2首が用いられています(@・C)。久米歌は後に大伴氏・佐伯氏に受け継がれ、大伴氏は琴を奏して佐伯氏は太刀を抜いて舞ったといわれています。この舞が久米舞です。久米歌/舞は室町後期には伝承が途絶えましたが、江戸後期の文政年間に復興されました。現行の久米歌/舞はこの時のものです。



■往時の演奏

久米舞の所見は「続日本紀」の天平勝宝元年(749)十二月の記載です。孝謙天皇(称徳)と父の聖武上皇、母の光明皇后が東大寺の行幸に際して「五節舞」「田舞」等と共に奏されたと記録されています。

次いで天平勝宝四年(752)4月9日には、東大寺の大仏開眼供養に際してやはり「五節舞」「田舞」などとともに、大伴氏20人・佐伯氏20人によって久米舞が奏されたと記録されています。

東大寺天皇太上天皇太后 同亦行幸 是日百官及諸氏人等咸會於寺 請僧五千礼仏読経作 大唐 渤海 呉楽 五節 田舞 久米舞 因奉
続日本紀 巻第十八 天平勝宝元年十二月条


夏四月乙酉 盧舍那大仏像成始開眼 是日行幸東大寺 天皇親率文武百官設斎大会 其儀一同元日五位已上者著礼服 六位已下者当色 請僧一万既而 雅楽寮及諸寺 種種音楽並咸来集復有 王臣諸氏 五節 久米舞 楯伏 踏歌 袍袴等 哥舞東西発声分庭而奏 所作奇偉不可勝記 仏法東帰斎会之儀未嘗有如此之盛也
続日本紀 巻第十八 天平勝宝四年四月条


平安期より久米歌は、大嘗祭の折に演奏される習わしとなっていったようです。三代実録の清和天皇の項には「貞観元年(859)11月19日に「悠紀」「主基地方」の帳を取り去って天皇は豊楽殿に出御し、百官とともに宴を開いた。そのとき大伴、佐伯の両氏が久米舞を舞った。」とあります。以後久米舞は、吉志舞・五節舞等と共に、大嘗祭の豊明節会(※1)で奏されていたようです。

貞観元年十一月十九日庚午条撤去悠紀主基兩帳。天皇御豊樂殿廣廂。宴百官。多治氏奏田舞。伴佐伯兩氏久米舞。安倍氏吉志舞。内舍人倭舞。入夜宮人五節舞。並如舊儀。宴竟賜絹綿各有差。
日本三代実録 巻三


中世の演奏記録は、文正元年(1466)11月の後土御門天皇大嘗会で、悠紀地方の風俗舞として久米舞が奏された記録(「親長卿記」-甘露寺親長-)が最後のようです(※3)。 以降は応仁の乱等の影響によって久米舞は奏される機会は無くなり、歌舞の伝承は絶えてしまいました。



■久米歌/久米舞の復興

仁孝天皇即位大礼ににおける奏楽に際して、文政元年(1818)9月20日、楽所奉行四辻家による辻近信へ久米舞再興の下知があり、辻氏と多氏の両楽家によって復興されました※3。現行の久米歌/舞はこの時に復興されたものです。



■久米歌/久米舞の構成

▼人員
・使用楽器 - 笏拍子・和琴・龍笛・篳篥
諸役 舞人 和琴 龍笛 篳篥 琴持 歌方
人数 4人 1人 1人 1人 2人 数人

※句頭(主唱者)のみ笏拍子を持ちます。また歌方より2名は琴持を致します。


▼久米歌 / 久米舞で用いる和琴の調絃法(神楽歌の調絃に同じ)
@ 三→ 一
D3 → D4
(上方完全八度)
壱越 → 壱越
(甲乙律)
宮 → 宮
A 三 → ニ
D3 → A3
(上方完全五度)
壱越 → 黄鐘
(順八律)
宮 → 徴
B ニ → 六
A3 → E3
(下方完全四度)
黄鐘 → 平調
(逆六律)
徴 → 商
C 六 → 四
E3 → B3
(上方完全五度)
平調 → 盤渉
(順八律)
商 → 羽
D 三 → 五
D3 → G3
(上方完全四度)
壱越 → 双調
(順六律)
宮 → 律角

※絃合(調絃)の作法
和琴の奏者は、宮音である壱越調を龍笛当役よりもらい、それを基音として三絃に合わせます。そしてこの絃からオクターブ上の音(甲乙律)を一絃にとり、また同じく三絃から上方完全五度(順八律)をニ絃にとります。次にニ絃から下方完全四度(逆六律)を六絃にとり、さらに六絃から上方完全五度(順八律)を四絃にとります。最後に三絃から上方完全四度(順六律)を五絃にとり、絃合(調絃)とします。




▼久米歌一具の次第
久米歌/久米舞 一具
楽章 曲名 内容
@ くめうたのあわせねとり
久米歌合音取
龍笛と篳篥による短い楽曲
A まいりおんじょう
参入音声
舞人登場の歌曲
B あげびょうし
揚拍子
舞人が舞う歌曲
C 和琴 舞人が太刀を持ち舞う。
歌は無く和琴のみ
D いまはよ
伊麻波予
和琴の歌出しを聞いた後、句頭が独唱
E あ あ
阿 阿
和琴の歌出しを聞いた後、歌方が斉唱
F まかでおんじょう
退出音声
舞人退場の歌曲
※楽章曲名は(「五線譜による雅楽総譜」-芝佑秦-)にしたがった。



▼久米歌の歌詞

-参入音声-

ウダノタカギニシメナワハル
宇陀能多加紀爾志藝和那波留
宇陀の高城に 鴫罠張る

ワガマツヤ シギハサヤラズ
和賀麻都夜 志藝波佐夜良受
わが待つや 鴫はさやらず

イスクハシ クジラサヤル
伊須久波斯 久治良佐夜流
いすくはし 鯨さやる

-揚拍子-

コナミガナコサバ
古那美賀那許波佐婆
前妻がな乞はさば

タチソバノミノ
多知曽婆能微能
立ちそばの実の

ナケクヲコキシヒエネ
那祁久袁許紀志斐恵泥
無けくをこきしひえね 

ウワナリガナコハサバ
宇波那里賀那許波佐婆
後妻がな乞はさば

イチサカキミノ
伊知佐加紀微能
いちさかき実の

オオケクヲコキダヒエネ
意富祁久袁許紀陀斐恵泥
多けくを こきだひえね

-伊麻波余-

イマハヨ イマハヨ ア ア
伊麻波余 伊麻波余 阿 阿
今・はよ 今・はよ あ あ

-退出音聲-

シヤヲ イマダニモ
志夜袁 伊麻陀爾母
しやを 今だにも

アコヨイマダニモアコヨ
阿許余伊麻陀爾母阿許余
吾子よ 今だにも吾子よ



▼歌詞の現代語訳

宇陀の高地に鴫をとるわなを張って私が待っていると、鴫はかからないで、勇ましく大きい鯨がかかった。本妻が酒の肴を所望するならば、生えている錦木の実の少ないところを、少し切りとってやれ。後妻が肴を所望するならば、実の多いところをたくさん切りとってやれ。いまこそ勝った、いまこそ勝った、わが子よ。




■近代以降の演奏

▼宮中祭祀ので奉奏

久米歌/舞は明治以降も楽部(※5)によって、天皇の即位礼に際して奉奏されました。また例年の宮中祭祀においては明治6年(1873)から昭和23年(1948)の間、紀元節の祭祀において奉奏されました。紀元節が廃止された以降は、現在の上皇陛下の大嘗祭おける大饗の儀(平成2年11月24日・25日)に、悠紀主基両地方風俗舞・五節舞とともに、久米舞が披露されています(※6)。なお現在宮内庁式部職楽部においては、定期的な久米歌/久米舞の演奏は行われていません(現行主要宮中祭儀一覧)。

▼橿原神宮での奉奏

橿原神宮では「昭和祭」(4月29日)と「新嘗祭」(11月23日)の祭祀において、例年奉奏されている久米舞は有名です。本殿前内拝殿と外拝殿の間にある、広大な外院斎庭において、久米舞の奉奏がなされます。

▼国立劇場での上演記録

・第59回雅楽公演(平成17年11月12日)
 「国風歌舞」宮内庁式部職楽部
 大和舞・誄歌・田歌・久米舞

・第83回雅楽公演(平成30年3月3日)
 「国風歌舞」宮内庁式部職楽部・雛の会
 東遊一具・五節舞・久米舞




※1...新嘗祭・大嘗祭の翌日に豊楽院(後に紫宸殿)で行われる饗宴。
※2...大和朝廷に従った武人集団。来目部とも表記される。
※3...「雅楽鑑賞」押田良久-文憲堂 (1987)-参照。
※4...大伴氏の祖で、神武天皇に従って平定に活躍した。
※5...現在の宮内庁式部職楽部の前身の、歴代組織による。
※6...24日・25日の2日間で計3回の奉奏がありました(「宮内庁作成資料2」(https://www.kunaicho.go.jp/news/pdf/shikitenjyunbi-2-shiryo2.pdf)2020/1/24時点)より
更新情報
(05/22)五度圏
(05/21)平行調一覧
(05/17)スケール一覧
(01/25)久米歌 / 久米舞
(06/17)狛姓 辻氏