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ひち‐りき【篳篥】
雅楽の管楽器の一。奈良初期に中国から伝来した縦笛の一種。 現在のものは、長さ6寸(約18センチ)の竹管の表に7孔、裏に2孔をあけ、 上端に蘆(あし)製の舌を挿入したもの。音は強く、哀調を帯びる。大辞泉(小学館)
篳篥の演奏
■構造
篳篥とは竹製の管楽器で、雅楽の演奏で用いられる縦笛です。内部に漆を重ねた竹製の本体に指穴が表側に7つ、裏側に2つ施され、葦の茎でつくられたリード廬舌ろぜつを管の先に差し込んで吹奏します。 篳篥の音域は、およそ双調(G4)から1オクターブ上の黄鐘(A5)まで(1オクターブ+1音)と比較的狭いのですが、古典ではこの音域を越える楽曲はありません。 ただし篳篥を用いた現代作品等では、この音域を越える楽曲も作られていますが、演奏に於いては卓越した技法が要求されることでしょう。また篳篥は唐楽・高麗楽・国風歌舞・歌謡といった、現行の雅楽の全てのジャンルの演奏で用いられています。
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■リード(廬舌)
篳篥のリードは廬舌または舌と呼ばれます。廬舌はダブルリードですが、2枚の薄片を合わせる西洋式のリードとは異なっています。 廬舌の構造は乾燥した葦の管の一方に熱を加えてつぶして、セメと呼ばれる竹製の輪をはめ込みます。そしてもう一方には和紙(図紙といいます)を何重か巻きつけて、この図紙のほうを篳篥本体の上部から差し込んだ状態で吹奏します。
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■篳篥の孔名(指穴名)
表側
「舌」(ゼツ)
「五」(ゴ)
「エ」(コウ)
「凢」(ハン)
「六」(リク)
「四」(シ)
「一」(イツ)
「丁」(テイ)
裏側
「ム」(ム)
「丄」(ジョウ)
運指の形もそれぞれの孔名と同じ名称を用いますが、その場合は孔名の指孔(穴)を開け、直前までの指孔を閉じたた形を基本とします。ちなみに「舌」は全ての指孔を閉じた形です。
■篳篥の各部名称と運指・音域の図
※「ム」は裏側の孔名で、使用する(開ける)ことはありません。
■■■篳篥の演奏技法■■■
篳篥奏法の特徴は、「塩梅」に代表されるポルタメント奏法です。塩梅は篳篥を、篳篥足らしめる演奏技法と言っても過言でないでしょう。篳篥の譜(明治撰定譜)には、指定箇所に記されている演奏記号もありますが、塩梅のように記号が記されない奏法も多くあります。それは篳篥演奏の伝承は、古来口伝が前提であったためだと考えられます。
◆塩梅(えんばい)
音と音の移行に行う、篳篥特有のポルタメント奏法。定められた演奏記号はありませんが、塩梅を行う箇所は楽曲の中にちりばめられています。奏法のパターンは2つあります。
・パターン@
メロディーライン上で、ある音からある音へ上行する際、いきなり移行するのではなく、一旦音を下げてから目的の音へ移行するパターン。
例:「テイテラ」(千秋楽)
「テリラト」(越殿楽)等
・パターンA
上記と逆で、メロディーライン上である音からある音へ下降する際、装飾的旋律を加えた後、目的の音へ移行するパターン。
例:「テヱルレラアラ引」(太食調音取)
「チラリロ」(盤渉調越殿楽)等
◆ノベツ(のべつ・たたく)
空いている指穴を、はじくような感じで一瞬のうちに押さえて離し、装飾音を出します。演奏記号は『ノ』です。
◆経過音
ある音から音への移行の際に、その中間の音を間に添える奏法です。篳篥は龍笛と違って指穴を押えるのではなく、リードの加え加減や口腔の形によって経過音を発声します。この技法によって、メロディーがやわらかくなります。篳篥の経過音は定められた演奏記号はありませんが、以下のパターンがあります。
@「一」(下無)→「六」(壱越or神仙)への移行の際に、間に平調の経過音をいれる。
A「一」(下無)→工(盤渉)への移行の際に、間に平調の経過音を入れる。
◆メリ
メラすとも言いますが、ある特定の運指で通常の音より低い音を出す技法です。篳篥のメリには譜記・演奏記号はありませんが、、以下のパターンがあります。
・六のメリ
通常は壱越(D)が発声する六の運指で神仙(C)を発声する。
・一のメリ
通常は下無(F♯)が発声する一の運指で勝絶(F)を発声する。
・舌のメリ
通常は双調(G)が発声する舌の運指で、下無(F♯)を発声する。
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■登場する古典書籍等
●古今著聞集
篳篥の音量は、その小さなボディーからは想像できないくらいの大きなもので、非常に存在感のある独特のものです。また塩梅という独特の奏法はメロディーラインを滑らかに、表情を豊かにします。 熟練した人の篳篥の音は聴く人の体の芯に響き渡り、時には哀愁さえ感じさせてくれることでしょう。
『博雅三位の家に、盗人入たりけり。三品、板敷のしたに逃かくれにけり。盗人帰り、さて後、はひ出て家の中をみるに、のこりたる物なく、みなとりてけり。篳篥一を置物厨子にのこしたりけるを、三位とりてふかれたりけるを、出てさりぬる盗人、はるかにこれを聞て、感情おさへがたくして、帰きたりて云やう、「只今の御篳篥のねをうけたまはるに、あはれにたふとく候て、悪心みなあらたまりぬ。とる所の物どもことごとくにかへしたてまつるべし」といひて、みなおきて出にけり。むかしの盗人は、又かくいうなる心も有けり。』古今著聞集、第四二九話
●枕草子
ただその一方でピッチが不安定・音域が狭い・リードの製作や調整の難しさから、初心者にとっては悩ましい楽器でもあります。演奏においは、楽器のコントロールは大変高度なものが要求され、誤ると聴くに堪えないものとなってしまいます。
『篳篥はいとかしがましく、秋の虫をいはば、轡虫などの心地して、うたてけぢかく聞かまほしからず』枕草子 第218段
■古楽書等に名を残す篳篥の名器
古来、楽器にはその種類毎に位のようなものがりました。最上の地位を与えられていた楽器は「和琴」「神楽笛」であり、最下の楽器は実はこの「篳篥」とされていました。そのためか平安時代中期以降、公達の奏するエピソード、又は古典文学の描写はあまり見受けられません。中世頃より宮中においては、もっぱら地下楽人の奏する楽器となっていったようです。
古記録にある楽器の銘と持主
●海賊丸・・・和邇部用光
●筆丸・・・大納言定能
●岩浪・・・安倍家
●濃紫・・・安倍季氏
参考文献
(『雅楽鑑賞』押田良久 文憲堂 1987)
(『雅楽辞典』小野亮哉・東儀信太郎 音楽之友社 2004)
(『五線譜による雅楽総譜 巻一〜四』芝祐泰 カワイ楽譜 1972)
(『新版枕草子』石田穣二訳注 角川文庫 1088)
(『古今著聞集』西尾光一・小林保治校注 新潮社 1983)