多姓 多氏(本家筋第四庶流)

尸は「朝臣」。古くは太、意富、意保、於保などとも書かれたが、のち「多」に統一された。家領の郷名をとり、「大沢」の俗称天文頃(16世紀の中頃)まで用いたこともある。名乗通字は嫡流系は「忠」、庶流「久」、曾庶流系(断絶)は「好」、神楽歌、神楽人神、和琴、右舞、笛を主業とし、特に神楽歌では他姓では参加出来ない多家の独専物。江戸期以降に笙や篳篥を兼ねる流派も出た。

-日本雅楽相承系譜(楽家篇)-平出久雄編-


●多忠清
     
 生歿:1583〜1659 ※10        
(天正11年?〜萬治2年1月13日)
 実父:多忠雄(四男)          
 実子:多忠福(忠喜)

   1588(天正16年12月21日)
    少志
   ????
    主水正
   1647(正保4年12月7日)
    従五位上
   ????
    右近衛将監
   1647(正保5年1月11日)
    河内守
   ????
    正五位下
   1651(慶安4年1月5日)
    従四位下
   1656(明暦2年12月26日)
    従四位上




おおのただとみ
●多忠福
(元:忠喜)
      
 生歿:1615〜1696 ※11(72)
(慶長20年〜元禄9年7月12日)
 実父:多忠雄(四男)          
 実子: 

   1650(慶安3年12月22日)
    正六位下・右衛門尉
   1656(明暦2年12月26日)
    従五位下
   1662(寛文2年2月11日)
    従五位上
   1670(寛文10年11月21日)
    右近衛将監
   1672(寛文12年12月5日)
    正五位下
   1681(天和元年11月21日)
    河内守(改忠福)
   1686(貞享3年6月4日)
    従四位下





●多忠音
      
 生歿:1676〜1738 (63)       
(延宝4年7月3日〜元文3年6月5日)
 実父:林広兼(三男)
 義父:多忠雄(養子縁組)          
 実子:多忠充

   1686(貞享3年6月4日)
    正六位下・主税少允
   1692(元禄5年12月13日)
    左近衛将曹
   1693(元禄6年12月25日)
    従五位下
   1700(元禄13年12月25日?)
    従五位上
   1704(宝永元年12月26日)
    河内守(兼任)
   1707(宝永4年12月18日)
    従五位下
   1714(正徳4年12月26日)
    従四位下
   1721(享保6年12月24日)
    従四位上
   1728(享保13年8月7日)
    三河守(遷任)
   1728(享保13年12月21日)
    正四位下





●多忠充
      
 生歿:1717〜1775  (59)      
(享保2年4月13日〜安永4年11月5日) 
 実父:多忠音          
 実子:多忠可

   1728(享保13年2月1日)
    正六位下・右近衛将監
   1731(享保16年12月25日)
    右兵衛大志(兼任)
   1735(享保20年12月24日)
    従五位下
   1744(延享元年4月4日)
    従五位上
   1752(宝暦2年10月1日)
    正五位下
   1754(宝暦4年2月2日)
    雅楽助(将監如元)
   1762(宝暦12年3月24日)※13
    従四位下
   1765(明和2年11月15日)
    従四位上「宮人秘曲再興賞」
   1775(安永4年2月13日)
    正四位下




おおのただよし
●多忠可
      
 生歿:1762〜1780        
(宝暦12年1月6日〜安永9年7月26日) 
 実父:多忠充          
 実子: 

   1775(明和9年3月24日)
    正六位下・右兵衛大尉
   1775(安永元年11月17日)
    右近衛将監
   1775(安永9年5月13日)※12
    従五位下




おおのただお
●多忠勇
      
 生歿:1772〜1818
(明和9年5月25日〜?) 
 実父:林広運(末男)
 義父:多忠可          
 実子: 

   1782(天明2年2月25日)
    従六位下・右近衛将曹
   1790(寛政2年6月24日)
    従五位下・右近衛将監(転任)
   1798(寛政10年6月4日)
    従五位上
   1806(文化3年3月24日)
    正五位下
   1808(文化5年12月27日)
    止将監※8
   1812(文化9年11月30日)
    筑前守
   1813(文化10年3月4日)
    左近衛将監
   1814(文化11年7月8日)
    周防守
   1816(文化13年1月18日)
    従四位下※9
   1818(文政元年5月27日)
    辞官返上位記(依病)





●多忠綱
(元:輝秋)
      
生歿:1797〜1827(31)
(寛政9年〜文政10年11月28日) 
 実父:多忠職
 義父:豊原広秋(養子後複実家)          
 実子:多忠元

   1807(文化4年3月26日)
    正六位下・左兵衛権少尉
    豊原広秋の養子となる
   1815(文化12年5月8日)
    従五位下
   1821(文政4年2月30日)
    右兵衛権少尉
   1823(文政6年2月21日)
    復実家
   1823(文政6年9月20日)
    従五位上・左近衛将曹
   1823(文政6年9月20日)
    従五位上・左近衛将曹
   1823(文政6年10月16日)
    改名忠綱
   1824(文政7年2月13日)
    故忠可家相続
   1827(文政10年9月20日)
    右近衛将監(転任)




おおのただとう
●多忠元
      
 生歿:1826〜1850(26)
(文政8年6月28日〜嘉永3年7月21日) 
 実父:多忠綱          
 実子:多忠久ただひさ 

   1835(天保6年10月8日)
    正六位下
   1835(天保6年10月29日)
    加賀介
   1835(天保6年12月18日)
    右近衛将曹
   1843(天保14年2月8日)
    従五位下




おおのただたか
●多忠孝
      
 生歿:1849〜1925 (77)
(嘉永2年〜大正14年10月20日)  
 実父:多忠愛(三男)*7 
 義父:多忠元(養子縁組)         
 実子:多忠告
 勲位:正七位・勲七等 

   1857(安政4年3月11日)
    正六位下・左近衛将曹     
   1871(明治4年)
    伶員
   1873(明治6年)
    東上
   1875(明治8年)
    権少伶人
   1877(明治10年)
    二等伶員
   1878(明治11年)
    六等伶人
   1885(明治18年)
    音楽取調掛御用掛
    東京女子師範学校御用掛
   1888(明21年)
    伶人
   1903(明治36年)
    雅楽師
   1907(明治40年)
    雅師
   1921(大正10年)
    退官




おおのただつぐ
●多忠告
     
 生歿:1876〜1936 (61)
(明治9年3月20日※1〜昭和11年9月5日) 
 実父:多忠孝          
 実子:多忠睦
    多忠秋(楽道不入)*2
 楽器:笛 /フルート・チェロ
 勲位:正六位・勲六等

   1884(明治17年11月14日)
    雅楽生
   1888(明治21年5月19日)
    伶員
   1892(明治25年)
    楽生
   1898(明治31年7月5日)
    雅楽手兼楽手
   1904(明治37年12月14日)
    雅楽師兼楽師
   1906-1916
   (明治39年1月20日-大正5年)
    東京音楽学校講師
   1907(明治40年)
    楽師*4
   1909(明治42年)
    陸軍戸山校軍楽隊弦楽教授




おおのただちか
●多忠睦
     
 生歿:1916〜1945(30)
(大正5年〜昭和20年8月21日*5)*6 
 実父:多忠告(長男)          
 楽器:笛 /?

   1936(昭和11年)
    楽師






注)
人名のよみは、平出久雄編「日本相承系譜」『日本音楽大事典』(平凡社)にしたがった。
官歴・経歴は、近世以前は「地下家伝」『群書類従』を、近代以降は、塚原康子『「明治国家と雅楽』(有志舎)の付表を参考とした。また他の文献に、追加や補足等がある場合はそれらを参考とし、その都度注釈を添えた。

*1...「現代音楽大観」より。
*2...『雅楽通解 楽史編 -芝祐秦-』より。
*3...『明治国家と雅楽(有志舎) -塚原康子-』には、同年雅楽師兼
*4...明治40年10月31日の官制改革により。
*5...ブーゲンビル島で戦病死。『明治国家と雅楽(有志舎) -塚原康子-』より。
*6...「日本相承系譜 -平出久雄編-」には生年1917とある。
*7...『雅楽通解 楽史編 -芝祐秦-』より。『明治国家と雅楽(有志舎) -塚原康子-』には、忠愛四男とある。
*8...「地下家伝(日本古典全集)」より。停任のことか。
*9...『雅楽通解 楽史編 -芝祐秦-』には、従四位上周防守とある。
*10...「日本相承系譜 -平出久雄編-」より。「地下家伝(日本古典全集)」には生年の記載なし。
*11...「日本相承系譜 -平出久雄編-」より。「地下家伝(日本古典全集)」には生年の記載なし。
*12...「地下家伝(日本古典全集)」には異説として、5月12日叙従五位下の記載あり。
*13...「地下家伝(日本古典全集)」には異説として、2月24日叙従四位下の記載あり。