尸は「朝臣」。古くは太、意富、意保、於保などとも書かれたが、のち「多」に統一された。家領の郷名をとり、「大沢」の俗称天文頃(16世紀の中頃)まで用いたこともある。名乗通字は嫡流系は「忠」、庶流「久」、曾庶流系(断絶)は「好」、神楽歌、神楽人神、和琴、右舞、笛を主業とし、特に神楽歌では他姓では参加出来ない多家の独専物。江戸期以降に笙や篳篥を兼ねる流派も出た。-日本雅楽相承系譜(楽家篇)-平出久雄編-
おおのたださだ
●多忠貞
生歿: ?〜1659
(?〜万治2年2月30日)
実父:多忠辰(ニ男)
実子:多忠賢
1651(慶安4年1月5日)
正六位下
1636(寛永13年2月25日)
豊後(豊前?)守
1656(明暦2年12月26日)
従五位上
おおのただよし
●多忠賢
生歿:?〜1686
(?〜貞享3年4月18日)
実父:多忠貞
養子:多忠武
1648(正保5年1月5日)
正六位下
1648(正保5年1月11日)
左近衛将曹
1656(明暦2年1月5日)
従五位下
1662(寛文2年2月11日)
従五位上
1662(寛文12年11月21日)
正五位下
1659(万治2年1月11日)
越前守
1679(延宝7年9月21日)
従四位下
おおのただたけ
●多忠武
(元:豊貞秋)
生歿:?〜1733
(?〜享保18年2月16日)
実父:豊宣秋
義父:多忠賢(養子縁組)
実子:多忠致
1679(延宝7年12月25日)
修理進
1679(延宝7年12月25日)
正六位下
????
改忠武
1686(貞享3年11月8日)
左京大進
1686(貞享3年11月8日)
従五位下
1693(元禄6年12月25日)
従五位上
1693(元禄6年12月25日)
左近衛将曹
1700(元禄13年12月25日)
正五位下
1703(元禄16年12月22日)
上総介
1707(宝永4年12月8日)
従四位下
1714(正徳4年12月26日)
従四位上
1721(享保6年12月24日)
正四位下
おおのただむね
●多忠致
生歿:1707〜1770 (64)
(宝永4年8月18日〜明和7年7月16日)
実父:多忠武
実子:多忠致
1717(享保2年12月25日)
正六位下
1717(享保2年12月25日)
右近衛将曹
1724(享保9年12月26日)
従五位下
1728(享保13年2月1日)
大炊介
1731(享保16年11月25日)*2
従五位上
1738(元文3年3月15日)
河内介
1738(元文3年12月24日)
正五位下
1748(寛延元年12月26日)
従四位下
1752(宝暦2年12月22日)
上総介
1758(宝暦8年12月28日)
従四位上
1768(明和5年12月19日)
正四位下
おおのただひさ
●多忠陣
生歿:1763〜1782 (20)
(宝暦13年11月19日〜天明2年9月18日)
実父:狛友矩(次男)
義父:多忠致
養子:多忠告
1773(安永2年2月22日)
正六位下
1773(安永2年2月22日)
右近衛将曹
1781(天明元年4月28日)
従五位下
おおのただつぐ
●多忠告
(改:成久)
※多姓辻氏
生歿:1775〜1824
(安永4年9月20日〜文政7年2月16日)
実父:多久弘(二男)「多氏近方流分家」
義父:多忠陣(養子縁組)
実子:多久太
多久泰
1785(天明5年3月14日)*3
正六位下
1785(天明5年3月14日)
左近衛将曹
1793(寛政5年2月19日)
従五位下
1793(寛政5年2月19日)
肥後守(兼任)
1801(享和元年12月18日)
従五位上
1807(文化4年3月14日)
復実家・以後多姓称辻
1808(文化5年12月27日)
被止両官(左近将曹・肥前守)
1809(文化6年7月1日)
改名:成久
1811(文化8年12月21日)
正五位下
1817(文化14年10月5日)
紅葉山楽人(補)
1817(文化14年11月27日)
関東下向
おおのただみ
●多忠惟
生歿:1805〜1866 (62)
(文化2年4月22日〜慶応2年12月6日)
実父:多忠誠(四男)「多氏本統」
義父:多忠告(養子縁組)
実子:多忠節(節文)
山井基萬やまのいもとかず
多忠政ただのり
多良信はるのぶ
1815(文化12年5月25日)
正六位下
1815(文化12年5月25日)
右近衛将曹
1820(文政3年6月2日)
左近衛将曹(選)
1823(文政6年9月20日)
従五位下
1831(天保2年2月4日)
従五位上
1839(天保10年12月19日)
正五位下
1625(寛永2年1月22日)
従四位下
1625(寛永2年1月22日)
美作守
????
従四位上・雅楽権助*3
おおのただたか
●多忠節
(改:節文ときあや)
生歿:1826〜1881 (55)
(文政9年9月7日〜明治14年5月19日)
実父:多忠惟
実母:辻大隅守狛近敦女
実子:
楽器:篳篥
1836(天保7年5月23日)
正六位下
1836(天保7年5月23日)
左近衛将曹
1844(天保15年1月25日)
従五位下
1844(天保15年2月4日)
改節文(ときあや)
1627(寛永4年5月2日)
左近衛将監
1628(寛永5年5月17日)
従五位上
????
正五位下・加賀守
1870(明治3年)
伶員
1874(明治7年)
上等伶員*4
おおのよしたけ
●多好武
生歿:1868〜1897 (30)※1
(文政10年〜明治30年3月11日)
実父:奥好学(四男)「狛姓 奥氏本家」
義父:多節文
実子:多基永
多基幹
多基清
多基理
多基文
多基福
楽器:篳篥/?
1880(明治13年)
四等伶員
1884(明治17年10月3日)
雅楽生
1888(明治2年5月19日)
楽手兼伶人
おおのもとなが
●多基永
生歿:1888〜1969 (82)
(明治21年6月23日〜昭和44年3月3日)
実父:山井基萬(三男)「大神姓 山井氏本流」
義父:多好武
実子:多英俊(楽道不入)
楽器:篳篥/クラリネット・チェロ
1897(明治30年5月14日)
伶員
1903(明治36年)
雅楽生
1908(明治41年1月)
楽手・退官
1908(明治41年)
東京音楽大学器楽部入学
1912(明治45年)
東京音楽学校器楽部卒業
同校研究科にてチェロを専攻
1914(大正3年)
同校研究科修了
1914(大正3年)
楽師
1945(昭和20年)
退官
注)
人名のよみは、平出久雄編「日本相承系譜」『日本音楽大事典』(平凡社)にしたがった。
官歴・経歴は、近世以前は「地下家伝」『群書類従』を、近代以降は、塚原康子『「明治国家と雅楽』(有志舎)の付表を参考とした。また他の文献に、追加や補足等がある場合はそれらを参考とし、その都度注釈を添えた。
*1...生年は『日本雅楽相承系譜 -平出久雄編-』より、没年は『雅楽通解 楽史編 -芝祐秦-』より。
*2...「地下家伝(日本古典全集)」に或いは12月とある。
*3...「地下家伝(日本古典全集)」に或いは2月とある。
*3...『雅楽通解 楽史編 -芝祐秦-』より。
*4...「明治国家と雅楽」より